最近、仕事を休んでみようかなと思ったりもしています。
私自身は、3年間、「母親は働いていたら、子供は変にならないだろうか?」などの疑問に終始刈られながら、それでも生活のためと思って(この仕事は自分の生きがいの1つでもあるんだけど)働いてきました。
365日24時間、子供と向き合うのは大変だと思います。子供を産んだんだから、それをしないと母親の資格がないと言われそうですが…。
現実は、もし会社を辞めてもまたしばらくしたら、アルバイトでも何でもしなくちゃいけない状態です。上の子供の幼稚園の月謝、やっぱり出ない。
そんな状態なら、金のことでまた喧嘩するのもなんだし、やっぱり今の職場で頑張ろうかなと思いとどまろうかなって気持ちもあります。
どうせなら、職をころころ変えるより、自分の得意なことをしていたほうがよいかとも思います。
でも、自分が正社員でいれば、夫にも迷惑がかかるのではないかとちょっと心配することもあります。

1人目も2人目も育児休暇もほしかったけど、状況を考えたら難しかったです。
それでも自分がいるときは子供と向き合おうと必死でやってきました。それでも、働いている自分への負い目は、やっぱり拭いきれません。
子供がいるのに…そこまでして働きたい?何人の人に言われたでしょうか。
自分が母親だから、働いてはいけない、と言われているのかな?という気持ち、ずっと持ちつづけてきました。
その気持ちと格闘しながら3年間ママとして子供を持ちフルタイムで働く選択をしてきました。でも、残業などはしないように心がけ,やれる範囲のことはやってきたつもりです。この仕事にも生活にも、私は慣れておりますが、今更ながら仕事を一休みする選択をしようか悩んでいるところです。

自分ではこれも1つの生き方だと言い聞かせてきました。
私は、仕事をやめたら逃げ場も何もありません。
親に甘えたくても、近くに自分の親はいません。
私は今まで、24時間子供と向き合うことから逃げてきたのかもしれません。今までも、働きながらでも、子供とたくさんかかわりたいと思ってやってきましたが、思い通りにはなかなか行きませんでした。

これからも、そう思いながら働くのかも知れません。生活がかかっています。仕方がないこともあると思います。母親として,それって卑怯ですか?

地震

2003年9月26日
実家が、震度6の地震になった。
ガラスが割れ、母は壊れた食器類を片付けるのにひと苦労したと言っていた。
私は震度4ぐらいまでしか地震は経験がない。
でも震度6はさすがに怖かっただろうな。

子供が、今朝地震のニュースを食い入るように見ていた。「じいちゃんち、大変なことになってるんだよ」と教えるまでしばらくテレビを見つめていた。

去年の今ごろは

2003年9月2日
妊娠9ヶ月だったなぁ。
もうすぐ産休で、引継ぎに忙しかったのに加えて自分の仕事も加わって、ダブルパンチでかなり疲れてたなぁ。
はーやも8ヶ月で逆子になって、治らないと帝王切開…そろそろ腹をくくらなければ…なんてやってたなぁ。
懐かしいけど、お尻からするっと産まれたはーやももうすぐ11ヶ月。
1年って…早い!

夏の終わりに

2003年8月31日
天塩まで、久しぶりに日本海を北上ドライブしてきた。私にとっては、はーやが生まれてから一度も行っていないので2年ぶりになる。
6月に、道の駅ができたのだけど、ずーっと「行きたいね」って話してて今日になっちゃったんだけど。
10時半頃にここを出て、着いたのが12時半頃。お昼を食べようと思ったけど道の駅は混んでいたのでてしお温泉夕映まで行った。
レストランでははやは落ち着かなくてうろちょろするし、しょーやはミニーのスリッパを履きたがるし(笑)で・・・さらにしょーやは注文したざるそばをほとんど食べず、パパの注文したホッキガイのラーメンを食べて満足げな顔をしていた。
帰ってくる途中、遠別辺りから2人とも寝てしまい、小平までぐっすりだった。また27日にも来た交通公園で遊んで、留萌の黄金岬で海を眺めて、帰宅した。
ある友達の掲示板に、こんなことを書き込んだけれど、読み返してみると私ってなんてわがままなんだろう、と思う。
子供たちは、私のことをどう思っているんだろう。
ママ、要らないなんて思われてないだろうか?
仕事はゴハンを食べるためにはしていかないとならないけれど、そこまでして自分が働く必要ってあるのかな?
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最近、働いていていいのかなと思うことがあります。
この子たちのためには、家庭に入って、1日中一緒にいてあげてもいいのかもしれないなって。
働くお母さんはみんな悩むと思いますが、自分の子供に対してこんなんでいいのかな、と思ってしまうのです。
私は、働いていて接する時間が少ない分、子供のことをきちんとわかっているのだろうか。自分の子育てに対して、責任を持てるのだろうか。
仕事はいつでもできるけど、子供は待ってくれないんだなと思ってます。
わかっているけど、まだ仕事にふんぎりがつけられないでいます。
私、仕事も子育てもしたいってわがままなのかもしれない。そう思います。

はやちゃん、9ヶ月

2003年7月14日
ずりばいができるようになり、後を追いかけてくるようになったはーや。伝い歩きもつかまり立ちもだいぶ様になってきた。
ついに今日で9ヶ月。
風邪を引いてなかなか治らないのがかわいそう。
あとちょっとの辛抱だけどね。
今日は、バーゲンセールに行って来た。
子供の物や、自分のもの、主人のものなど買いあさってきたが、何より1人で自由気ままに買い物できたことがうれしかった。
そして、夫が出張の前泊のため夜出かけ、今もいないので、こうしてゆっくりできる。

うーれーしーーーい

と思ったらハヤに泣かれた・・・
数日ぶりで朝食もりもり食べました!
身体もほとんどといっていいほど本調子に近づいているとは思うけど…
ちょっと風邪気味なのが心配かな。
でも突発の症状は無くなったのでほっと一安心。
兄ちゃんなら体力無いからそんなに熱が出たらまだ復活できないかもしれない。それでも最近は見違えるほど丈夫になり、休まないで保育所に行っている。
あと2,3日して何も無ければもう大丈夫。
はやの回復力は凄いっす。

いちごを食べた

2003年6月19日
今日、親戚の人からいただいたイチゴを食べた。
今年こんなにおいしいイチゴを食べたのは初めてでうれしかった。
なんだかおいしいものを食べると心も満足するというが、まさしく今はそんな状態だ。
食べ物で幸せな気持ちになれるなんて、私って本当におめでたい人なのかもしれない。

私って、何?

2003年6月16日
子供たちとじゃれ合って遊んでいる時、つかの間の幸せを感じるのだけど、いざ1人になってしまったら私はどうなるのだろう…
今更、子供のいない生活などは考えられないが、でも自分って子供の為だけにいるんじゃないかって思う時がある。
これも子育て中だからなのかもしれないけど。
私は、自分の為に何かするってことも許されないのかな?子育て中のみなさんそう思いませんか?
子供や夫だけの為に生きてるって錯覚する時ってありませんか?
自分の人生の一部分に子育てがあって、それが重要なウエイトを占めていることには違いないのだけど。

眠い

2003年6月10日
寝ても寝ても眠たい。
新しいHPの更新もしたいが、眠くて起きていられない。
育児疲れ?仕事疲れ?なんでだろう?
そんな季節になったのかな。
私は幸せな人なのかもしれない。
旭川のコムサストアに行って来た。
うちは御用達のお店で1ヶ月〜2ヶ月に1回ぐらいは行っている。
今日は翔也の浴衣を買いました。私の服ももちろん買ったけど、気が付けば私と翔也のものばかり買ってきた気がする。
意識していたわけではないが、颯己のものは何1つ買っていなかった。他のところで買ったり、これからならお兄ちゃんのお下がりが結構あるのでいいやって思っちゃった。
Tシャツが安かったりおしゃれなものがあったりするので、コムサストアは大好きだ。また、バーゲンのハガキが来たら行こうかな。

お母さん

2003年5月31日
私は、元来一人ムスメでどちらかというと母親べったりな子供だったので、時々母親のことを考えてしまうことがある。
小学校から高校まで、その日学校であったことを話したりするのに、家事で忙しくても後を追いかけて話していたような気がする。
そのくせ、たまに1人になりたかったりして、買い物に行ってくれないかなって思っていたときもあった。
でも、それは今となってはいい思い出。
私は、今でもお母さんの匂いが大好き。
気が強くてわがままで短腹なくせに涙もろい性格は、まさしく母譲りである。
子供が小さいとなかなか帰れないのが寂しくて、実家から家に帰ってくるときに涙が出そうになるのをこらえるのに必死だった。
お嫁に行くときも、お母さんの顔を見ると涙が出そうになった。
ウチの父親は、現場勤務が多かったので月曜日から金曜日まで母とほとんど2人きりだった。
夫が出張や飲み会でたまに家を留守にすると、母の大変さが身にしみて分かる。私が小さいとき、こうやって母1人で苦労してきたのだって。
そんなお母さんのことを考えていると、自然に涙があふれてくる。
今は私たちよりもまず、年老いた両親のことを心配して欲しいし、今年から遠くに単身赴任している父のことを気にかけて欲しい。父もあと5年足らずで定年を迎える。
今度いつ帰れるかわからないけど、また家族で元気な顔を見せに行くのが楽しみだ。みんなで焼肉でも食べたいな。
気が付けば、もうすぐ母の誕生日。もう50代半ばと呼ばれる年齢になるので無理しないでほどほどに人生楽しんで欲しい。
はやき@7ヶ月半も早いもので歯が生えてきました。
翔也の時は9ヶ月過ぎてたので、もう早?とか思ったけど何時の間にかこんなに成長していたなんて〜。いつか授乳中に乳首を噛みちぎられそうだわ〜。
最近、足が強くて自分で立とうとしていますが、まだつかまり立ちは無理な様子。私に支えられて立つ事はできるように。座ったままでずりずりと前進しておもちゃを取ります。
あと食事は、もう1日3食食べるので、ベビーフードも活用しています。たくさん作ったら姑に頼んで昼ご飯に食べさせてもらっています。9ヶ月以上の子は1日3食と言うけど、私たちが食事してるともう食べたくてしょうがないので3食にしちゃったんです。おっぱいはもう思うように出なくなってきてるし、ミルクもあまり好きがらないし・・・。手抜きな母です。
それとやっぱりおっぱい大好きっ子はやきは母命なようで、おっぱいをあまり飲まなかった翔也に比べれば私の姿が見えなくなると泣き出してしまいます。抱っこひもは必需品です。
今日は、パパがはやちゃんをポリオに連れていきました。まぁすごい人だったみたいで・・・
ここでは、ポリオは年に2回しかやらないので乳幼児連れの父母がたくさん行っています。人口が少ないからそれでよいのかもしれないけど、予防接種のタイミングとしては、困ることも多々あるような・・・

動物園に行きました

2003年5月24日
旭川の旭山動物園に行って来ました。
翔也は初めからもうジジババとでないと行かないとだだをこね、着いてからも動物よりもゴーカートに乗りたいとだだをこね、その次はコインの乗り物がよいとだだをこねました。
じいちゃん、ばあちゃん、パパ、ママもみんなへとへとに疲れました。
でも翔也と颯己と、また思い出を作ることができました。
しかし今日は5月にしては暑かったです。

遠足

2003年5月20日
うちの近所の公園まで、保育園からバスで遠足に来ました。
お弁当がおいしかったらしく、翔也はまた来たいなを連発しています。またお弁当作って遊びに行くぞ!
神様がいるとしたら、お願いしたいです。
どうして、世の中には出会いや別れがあり、ときにはすごく辛い別れがあるのでしょう。
辛い別れは、できればしたくないです。
うちの夫から、もう友達を連れていかないでください。

昨日、夫の友達が事故で他界しました。
幼い頃からずっと一緒に遊んだりした仲の友達です。

東京第3日目

2003年5月2日
旅行も3日目になるとさすがに疲れてくるのは大人も子供も同じだ。
このぐらいで終わりなのがいいのかもしれない。
私たち(実母の妹と翔也と私)は、朝からNHKへ急ぐ。10時半までには渋谷に着いたが、ファミリーコンサートの開演は11時。タクシーでNHKに着き、会場に入った。
これが紅白歌合戦やってるNHKホール?とちょっとお上りさんモードで感動していたら、いつの間にか11時になった。

翔也は、コンサートのお話の中でスプーをさらっていった「チュウチュウ大王」が怖くなって泣いてしまった。あちこちから子供の泣き声がしたので、きっと同じようにチュウチュウ大王を怖がっていたのだろう。何日か前に、生きているタコを見ていたので余計怖かったのかもしれない。
デ・ポンのおねえさんはすっごくきれいな踊りで感動したし、ひろみちお兄さんのバック転もすごかった。感動(T-T)
あきひろお兄さんとりょうこお姉さんもゲスト出演して、翔也も私も大満足のコンサートだった。

コンサートが終わってすぐ、叔父と待ち合わせて、テントではぐーチョコランタンのフレームで写真も作ってもらい、その間に買ってもらったスプーはなくすわさんざんの翔也くんだったが、スタジオパークに行く途中に外でひよこやうさぎなどの小動物を見て機嫌を取り戻す。

スタジオパークの地下でご飯を食べて、ワンワンのショーがあったのでそれを待つことに。待つこと30分、ワンワンが出てきて翔也、とってもいいお顔。生のワンワンが見られてうれしかったのね。ワンワンとあっという間に写真を撮って、すぐにスタジオパークを見学し渋谷駅へ。
山手線とモノレールを乗り継いで空港に着いたときには既にもう5時を回っていた。翔也はワンワンに興奮して疲れたのか、寝てしまっていた。
飛行機に乗るぎりぎりまで寝ていた翔也、でも飛行機に乗っても眠そうだった。飛行機を降りるって時に翔也は飛行機を降りないと言い出した。
そうそう、楽しかったことが頭から離れないのね。すぐそこには、現実の世界が待っているんだよって。

帯広空港に着くと、私の父が迎えに来てくれていた。とっても楽しい東京旅行3日間でした。
極めつけは、実家に戻ってすぐに玄関で叔母の家に行くと言いだして翔也が激しく泣いて、吐いてしまったこと。でもそんなに楽しかったのね。

東京第1日目

2003年4月30日
1年ぶりに羽田空港から東京の地を踏んだ。
颯己を置いてってことでちょっと心配でもあったのだが、翔也と2人きりの旅ということでちょっぴり期待もしていたりした。
実家からは、何事もなく飛行機に乗り込み東京まで無事たどり着いた。
しかし、その後珍道中となることは言うまでもなかった。王子様は着陸寸前に寝に入り、さらに羽田に着いてからは眠いのと食べたくないのとで、注文したお子さまランチをほとんど食べず、私が注文したピザを食べいざ叔母の家を目指す。
しかし、王子様はさらに暴走する。モノレールや山手線の中ではしゃぎ、さらには山手線の中で隣に座った年輩のご婦人に話しかけられる。北海道から来ていて、電車に初めて乗ったっていうことも告白したが、次には王子様は新幹線が見たいと言い、やっぱりうちらは田舎者だなと思った。私はドキドキ、進行方向が間違っていたらどうしよう?でも、ちゃんと行き先は見て乗ったはずだから大丈夫だ、と信じていたらなんとかなった。
無事に澁谷にたどり着き、東急田園都市線に乗り換える。JR乗り場から階段を下りてくるのが大変だった。急行の止まる駅で叔母が待っていると言うから、急行に乗る。平日の昼間なのに、人がたくさん乗っている。私は人に酔ってしまった。さすが、田舎者。
そして無事に叔母と会うも、モノレールと電車を初体験し興奮気味で寝られなかった王子様が「ママ車に乗るの」と騒ぎだし、私はこれは眠い証拠だと確信。叔父が王子様と一緒にジュースを買ってきてくれ、一件落着。叔母の車に乗ったら、ジュースを飲んでお約束のように王子様は眠りにはいる。彼は私が6時にいなくなることも予想だにしていなかっただろう。
そして午後7時に渋谷でKeiちゃんと待ち合わせしていたので、6時ちょっと前に叔母の家を出る。王子様は寝ていたので、起こさずそのまま。1人で買い物以外で外出なんて、久しぶりでちょっとうれしかった。なんとか無事Keiちゃんと会うことができて、渋谷の某所で話も弾み、Keiちゃんと別れるのが名残惜しくなってきていた。とても初めて会った人とは思えなかった。Keiちゃんとは同じ生年月日の子供がいるという縁で知り合い、半年以上ネットでお話をしてきた仲なのだ。欲を言えば、今度は子供同士を対面させてみたいなって思ったりもして。
Keiちゃんが改札まで送ってくれて、渋谷を9時発の急行で発ち、10時前には叔母の家にたどり着く。そこには、ご飯も食べいい顔をして遊んでいる王子様の姿があった。「大丈夫だったんだね〜」ほっとした私は、身の回りのことをしたり彼と少し遊びながら、次の日に備えた。行き先はなんてったってディズニーランドなんですから。

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