実家

2003年4月29日
10ヶ月ぶりに実家に帰ります。
5月4日頃自宅に帰ってきます。
祖父母に会えるのが楽しみです。曾孫の顔が見たくてこの日を心待ちにしていたそうです。
GWぐらいは自分の身内と過ごしたいってわがまま、許してもらえるよね・・・
翔也へ
君が産まれたとき、パパとママはすっごくうれしかったよ。ママはそれまで生きてきた中で一番痛かったけどうれしかった。
今までいろいろなことがあったね。
成長は人より遅いけど、翔也なりのペースで、ゆっくりと一歩ずつ進んでいるね。
一番ヤキモキしたのは、いつ歩くのかな?ってこと。結局1歳4ヶ月までまともに歩けなくて、本当に心配した。
去年は5回も入院した。
保育所に入って、病気ばかりして休んでばっかりだった。
そんな君がもう3歳になって、おしっこも教えられるようになってきて、弟にもやさしくできるようになってきて、この1年で本当に成長したと思う。
ディズニーシーやランドに行ったときの楽しそうな顔と言ったら、ママは忘れられないよ。
3年間で、翔也と色々な思い出ができてうれしいな。
これからも、パパとママと颯己と、たくさん思い出を作っていこうね。
君の生まれた日に、パパとママからメッセージ。
名前に込めた思いのように、力強く羽ばたけるような男の子になってください。君の成長が心から楽しみです。
今日は、君だけでなくパパやママにとっても特別な日です。
おめでとう Happy×2 Birthday♪

昇給

2003年4月25日
昨日、会社で給料明細をもらった。
この不景気のなか、新年度から基本給が6000円以上上がった。
働く場所があるだけでもありがたいのに、月給が上がるっていうのはすごくありがたいこと。
これで私たちはまた食べていける。
感謝しなければ。

それに引き換え、夫は半年間は財政難のため昇給停止だとか。地方公務員も不景気で厳しい時代です。

2回食

2003年4月20日
はやきが2回ごはんを食べるようになった。この前離乳食が始まったと思ったら、もう2回食べても大丈夫な身体になっているらしい。
ちょっと水っぽい(ペースト)ものが多いけど、食べるようにはなってきてるから安心だ。
来月には少し固さアップかな。
私たちの食べているものを、羨ましそうに見るはやきの顔はなんともいえない。
家のボイラーが、油切れでお湯が出なくなりました。当然、ストーブもつきません。夕方、見てもらったらちょっとエアーがたまってるといわれました。
うちは小さい子がいるので、ストーブつかないのとお湯が出ないのは本当に困ります。今度同じことがあったら、燃料屋さんに思いっきりクレームしてやろうかな。
はやきの6ヶ月検診に行ってきました。
身長67cm、体重7860gでした。
おすわりができるので発達は少し早めかもということでしたが、身体のほうも異常なし。
逆子で産まれた病院でも問題なしと言ってくれたので少し安心しました。
私は、今までに何回か仕事を辞めようと思った事がある。辞めていれば、すっきりしていたのかもしれない。
専業主婦にもあこがれる。時間も今よりは自由になるはずだし・・・何より、ずっと子供についていられる。子供の成長の瞬間が見られて、味わえるのがうらやましい。
私の収入が無くても、うちは暮らしていけるのかもしれない。私が働いているから贅沢になるんだ。きっとそうだ。
子供に対しても、働いている自分を責めたりもしている。私は子供と接する時間が他のお母さんたちより少ない。だから子供がおじいちゃん、おばあちゃん子になっちゃうんだって。そして、私の愛情が欲しい時に私はいないんだって・・・
今、私はものすごく寂しい気持ちがある。子供が、どんどん自分の見ていないところで大きくなっているような気がする。
働いている事を、子供に申し訳無く思わなくても良いのに。お母さんはこういう生きかたをして来たって胸を張って言えるといいんだけど。
でも、育児について私たちの親が手出し口出ししてくることがあるが、そうなると自分が働いている事が悪いのかなって気持ちになる事がある。自分に自信が無い。
だったら働かなきゃいいでしょってこの日記を読まれている方は思うのかもしれない。貧乏してでも何してでもついててあげればいいでしょって・・・ごもっともなのかもしれない。子供には、親の愛情不足が一番いけないことも、わかってる。
私は、私なりにいっぱいいっぱいなんだけどな・・・家計も支えなくちゃいけないしな・・・
夫も公務員なので、アルバイトなどできる筈も無く、財政難の為残業手当も当らない。夫の給料は、不況の為公務員と言えども上がるはずも無く、家賃と光熱費など必要経費を差し引くと、夫の小遣い分ぐらいしか残らないのが現実だ。保育料も出ないので私の給料から払っている。これでは幼稚園の月謝など出るはずも無い。しかも財政難の為の昇給停止も半年間ある。我が家の家計は凄い厳しい。
いつまで、こうやって仕事してられるんだろうな。
給料も女性としては高い方なのかもしれないが、それに払う代償の方がもしかしたらもっと大きいかもしれない。
だからと言って、安易に夫親と同居なんか絶対にしたくないしな・・・お金が無いからって親におんぶに抱っこは絶対に嫌だ。
ここの役所の職員も、国家公務員や道職員みたいに家賃の安い官舎とかがあればいいのに。
私は、最近の休日出勤や残業でちょっとイライラ気味モードです。(From職場)

おむつはずれ

2003年3月23日
上の子のおむつはずれがいっこうに進まない。
去年、やろうと思っていたら入院、治ったと思ったらまた入院を繰り返して、とうとう今年になってしまった。
トレパンに替えても「おしっこ行く!」と行ったときには既に「ジャー」。
イライラしてはダメだと分かっていながら、私はついついイライラしてしまう。子供のおむつはずれが進まないのは母親の責任のような気がして、他の子は3歳には大半がはずれているのにと思うと、プレッシャーのように感じてしまうのだ。
それに自分は働いていて、時間がないからダメなのか?と思ったりしてしまう。あまりそんなことを思わない方がいいよと夫にも言われるのだが、やっぱり私の教え方が甘いのかな?と考えてしまう。
それでも最近は保育所でおしっこに成功しているようなので、もしかしたら見通しは明るいかもしれない。今年の夏にはずれてくれれば一番いい。
焦らずゆっくりやってみよう、と自分に言い聞かせた。がんばれ、翔也!

30年

2003年3月21日
両親が、結婚して30年を迎えた。
30年前の今日、父と母は札幌市内で結婚式を挙げたらしい。
30年の間には、本当に色々なことがあったように思う。父は現場勤務が多く、仕事で家にいることは少なかった。でも父は私にちゃんと愛情を与えてくれた。でも時々、育て方が悪いのは母のせいだと言っていたことがあった。それは間違いだと私は思っている。
母は、必死で私を育ててくれた。
私が、お嫁に行った日、進学で家を出た日、どんなに寂しかっただろう。
今まで大事に育ててきた娘が、自分の元から離れていくのが、寂しくて辛くて、でも娘の成長はうれしくて。複雑な気持ちだったに違いない。
そして、両親にとって一番辛かったのは何よりも我が子の死だったと思う。産まれて間もない弟が日赤に運ばれ、生後2日目で息を引き取ったということ、母は産後の快復もままならずお葬式にも出られず我が子の顔を見られなかったことが大変辛い思い出であるに違いない。父が棺の中の弟にビールを飲ませて「一緒に飲みたかったよな」って言っていたことを思い出す。天国の弟は、生きていればもう23歳になっている。
そして、父がもっとも愛していた、祖父の死。
祖父は、鴻之舞鉱山の坑内で働き、じん肺になりそれで50歳を過ぎてから働くことができなかった。
歌とにぎやかなことが大好きで、曲がったことの大嫌いな祖父だった。肺が悪いくせに、たばこが大好きで、「オレは酒とたばこをやめるぐらいなら死んだ方がましだ」とまで言い放っていた。
それでも63歳まで生きられ、子供や孫たちに囲まれて逝った祖父は幸せだったと思う。

うれしい出来事や楽しい出来事だってたくさんあったと思う。
孫が2人できたこと。息子を失った両親にとっては、男の子の孫が2人できたことはとてもうれしかったそうだ。
母にとっては、両親(祖父母)が元気で長生きしてくれていることが何より幸せだと思う。50歳過ぎても両親が健康で生きていることは、そうそうあることではないと思う。父方の祖母も去年喜寿を迎えたが、元気そのもので、旅行や趣味なども楽しんでいる。
私が23歳の時にした網走への家族旅行は、忘れられないものとなった。昔の思い出を探しながらの旅はとても楽しかった。
そして今年、姪の結婚式もあり、東京旅行へ10年ぶりに行くそうだ。
私にとっては、両親がこうして30年連れ添っていてくれたことが幸せだし、これからも2人元気で生きていって欲しいと思う。
それが何よりも、幸せだと思うから−−−。

さんざんだ

2003年3月20日
今日はさんざんな1日だった。
夫は39度の熱を出して飲み会から帰ってくるし、私は魚の骨が喉に刺さって取れなくなるし、会社の休日なのに仕事だし・・・
明日はいい1日になりますように。

今日食器洗い乾燥機が我が家にやってきた。
面白くてかなり使ってるけど、超便利!!
特にワーキングママ、子育て中で時間の無いママたち必需品だよ!
家事を怠けてるなんて思わないで買ってみたら?子供との時間も増えるし、インターネットできる時間だってできるよ。
いいものを買ったわ〜(^^)
ついに「僕の生きる道」の放送が終わってしまいました。
残念だけど、でも、もう中村先生(草?くん)の可哀想な姿を見るのは涙が止まらないので・・・。
私も後悔のない人生を生きたい。他人が何て言おうと、自分自身が納得できる人生を送れたらそれで言うことは無い。
今まで28年間、私は何をしてきたのだろう。
自分では有意義に生きてきてるつもりなんだけど、今まで自分がどんな人生だったかって自分に問うてみると、平穏無事な人生だったとしか言いようがないような気がする。
これからの人生も子育てと夫のためだけに過ぎてしまうのかと思うと、ちょっとうんざりだ。多くの主婦の人たちがそう思っているのかもしれない。
自分っていうものを持って生きたい。
誰もが願うことなのかもしれないけど。

このドラマを見て、私は変わったと思う。
その日を精一杯生きたいと思うようになったし、子供たちや夫、周りの人たちにも悔いの無いように接して生きたいと思うようになった。

ハッカム様

2003年3月16日
うちの颯己は、数日前に髪型がベッカムのようになっていたことから、あだ名が「ハッカム様」になってしまった(命名は姑)。
ハッカム様の髪の毛は、大変薄かったので私の父に似ているから仕方がないかと思いつつも心配はしていたのですが、やっと少し濃くなってきたように思います。髪が増えた!寝ハゲに髪が生えてきた!とちょっと感動中。

外見と中身

2003年3月15日
他人はよく見える。
いい服を着て、いいものを持って、スタイルが良くて、顔が良くて・・・そして、働かなくても生活していけるだけの給料をダンナさんが持ってきて・・・子供は頭も良くて性格もよくてかわいくて・・・。
でも中身が伴っていなければその人は表面だけ飾っていることにしかならない。
うちの夫だって、外見は絶対にいいとは言えない。おまけに甲斐性は無いし、すぐ怒るし・・・でも、人に対しては気持ちのある人だって思ってる。
だから夫と結婚した。
私と言えば、目は一重だし、太ってるし、だんご鼻だし、背は低いし、足は短いし、見た目に関してはいいところなど1つも無い。
外見がこんななので、子供たちに「ママの息子で良かった」って言われるように、せっせと中身を磨かなくちゃね。せめて子供たちに最高の笑顔を見せられる母親になりたいと私は思う。

パパありがとう♪

2003年3月14日
今日はホワイトデー。
私は大したものあげてないのに、お返しはけっこうクッキーやチョコなどがいろいろ入っていて、私が買ってあげたのよりはるかに豪華だ。
そんなことなら、ケチらないでもっといいものあげればよかった。
お小遣い少ないから、お返しはいらないよって言ったのに。でも気持ちがうれしかった。
パパありがとう。愛してるよ。

痩せたい

2003年3月12日
私にとっては、この問題は非常に切実なのである。
私は、自分で言うほどは太っていないんだと思う。でも、最近のフツーの女の子の間では、結構太っているかもしれない。いや、ぽっちゃりしているという言葉があてはまるのではないだろうか。
可愛い服を着たくても、売っているのは9号だけだと「がーん」。独身の頃のスカートがきつい「がーん」。自分の身体が嫌い。
みんな何か努力してるんだろうか?
私はダイエットは何をしても痩せた試しが余り無い。10代の頃からすると、颯己1人分ぐらいは増えている計算。どこにそんなに肉がついてしまったのか。
このまま、オバサンには絶対になりたくないな・・・

帰る

2003年3月7日
夫が出向先から古巣へ戻る事になった。
ホッとしている反面、仕事が大変になって子育てになかなか協力してくれなくなるのではと思っているけど、男だから働くのは当たり前。仕方が無い。
もし自分で限界を感じた時は、仕事を辞めるしかないと思っているが、仕事を辞めたら生活が成り立たない。
そんなこんなで4月からますます忙しくなりそうだ。
草?剛さん主演のドラマ「僕の生きる道」にはまっていることは、だいぶ前の日記に書いたと思う。
もし自分が親より先に死んでしまったら・・・とか色々と考えてしまう。
どうして、人ってこれしか生きられないって寿命が決まっているのだろう。赤ちゃんや幼児のうちに死んでしまう人もいれば、100歳以上まで生き続ける人もいる。
草?くん扮する「中村秀雄」は、スキルス性の胃ガンで29歳までしか生きられないそうだ。でも、最後の1年を今までの28年よりも濃く生きたいってがんばってる。
人間っていつ死ぬか分からない。つい先日まで元気で街を歩いていた人が、今日には棺に入っているかもしれないのだから人の運命なんてわからない。
だから今日という日はとても貴重な時間なのだ。将来も大切だけれど、今もそれよりもずっと大切にしたいと思う。主人や、子供たちとの時間は、生きているときにしか過ごせないかもしれないから、大切にしようと思う。
まだ私は28歳だけれど、同い年の「中村秀雄」が死に直面しているのを見て、他人事とは思えなくなった。
私はこのドラマを見るまで自分の人生は80年あると思ってきた。でも今は違う。人生いつ死んでも後悔しないように生きなくちゃってスタンスが変わった。
もう夜の12時半になり日付も変わったが、まだドラマの余韻に1時間半以上浸り続けている私である。

寝過ぎて眠い

2003年3月4日
なんて幸せなんだろう。贅沢なんだろう。
寝過ぎて眠いとは。
3ヶ月前の私なら絶対にあり得なかった。
子供たちがよく寝てくれるので私も安心してよく寝られます。
大変幸せなことです。
もう2月も終わりなんだなーって外を見ると、雪が融けてる!!日中はやっぱりあったかいのです。
今日は朝会社に来る途中、凍結路面で滑って、危うく他人の家の塀にぶつかるところでした。もしそこを人が歩いていたらと思うと、ザワッとしました。でも何事もなかったのだからいいことにしなくちゃね!!
また日中融けてた雪が凍って、明日の朝はどうなることやら。
28歳は超幸せな誕生日でした。
義母から食べなさいと赤飯やらカッパ巻やらをいただきました。
夫からはケーキを買ってもらいました。
両親からはアメジストの指輪が届きました。
息子にはハッピーバースデーを歌ってもらいました。
なんて幸せなんだろ〜私。

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